宮大工の凄技について喜真摩に。
宮大工とは、寺社や御神輿など、日本古来の木造建築を手掛ける大工さんのことである。
飛鳥時代から続く伝統的な技法により、寺社を建築・修理する事が主な仕事だ。
宮大工の腕次第で、その後の保存状態が大きく決まるといわれる。
幅広い知識と高度な技術が求められ、国から選定保存技術に指定されている。
かつて宮大工は、釘を使わず「継手」「仕口」という手法で建築・修理をしていた。
なぜなら、地震大国日本だからこその耐震性を備えているからである。
また、建築物を大切にする意味から、礎石を建物の土台として柱を立てる。
そうする事で、柱が湿気を吸い上げるのを防ぐのだ。
また、地震の揺れの反発を抑え、建物の崩壊を防ぐ。
まさに、日本の風土に合った技法である。
「継手」は”つぎて”と読み、材木の長さを増すための技法。
「腰掛鎌継ぎ」や「追っ掛け継ぎ」など70くらいの種類がある。
形状を複雑にすることで、木のねじれ防止の役目もある。
〔腰掛鎌継ぎ〕
〔台持ち継ぎ〕
「仕口」は”しぐち”と読み、方向の異なる梁や桁などの複数の木材を接合する手法である。
”ほぞ”という突起部分と”ほぞ穴”を作り、かかる力の伝達を的確にする。
パズルのような継手や仕口に、とにかく心惹かれる。
複数の木が複雑に削られ、計算されたもの同士が寸分の狂いもなくピタリとはまる。
はまってしまえば、釘を使わずとも何百年、何千年と外れることはないのだ。
素晴らしい!!
そんな複雑な部分の加工に使うのが鑿(のみ)である。
非常に書き辛い漢字で馴染みがないので、カタカナ表記に変更。
ノミの使い方は非常に難しく、「穴ほり三年」と言われる由縁である。
種類は豊富で、主に使われるのは叩きノミや突きノミである。
〔叩き鑿〕 〔突き鑿〕 〔丸玄能〕
叩きノミの柄の先端に、カツラと呼ばれる金属が付いる。
ここを玄能(げんのう)で叩いて木の細工をする。
突きノミの柄は長く、両手で握り突きながら切削を行う。
ノミと並んで重要なのは、鉋(かんな)である。
表面を削る平台鉋、装飾に使う面取り鉋、溝加工用の底取り鉋 などがある。
鉋は、室町時代に中国から日本に伝わった。
中国鉋は押して使うため、当時は取っ手が付いていた。
しかし、日本人は表面を平らにするだけでなく、ツヤを出す事まで求めた。
その結果、江戸時代には鉋を引いて使うことに辿り着いた。
〔中国に伝わる押す鉋〕 〔西洋に伝わる押す鉋〕
鉋で木を薄く削る技は、まさに神業である。
「削リスト」と呼ばれる職人たちが、ミクロンの薄さに削るのだ。
その鉋、「全国削ろう会」という削り技を競う大会がある。
会場は毎年変わる。
今年(2016年)は、5月14、15日の二日間、飛騨・高山で行われた。
「薄削り」では、3ミクロン前後を競い合う。
この薄さは、向こう側が透けて見える。
しいていうなら、上等のおぼろ昆布だ!
2017年第33回の全国削ろう会大会は、9月30日、10月1日の二日間、宮城県蔵王町で開催。
毎年会場は変わり、全国を回っている。
近くで開催の際は、ぜひ行ってみたいものだ。
職人の世界おいて、道具は命である。
にもかかわらず、こんなミステリー秘話が。
明治12年(1879年)、奈良県・東大寺南大門の修理の際、梁の上で墨壺が見つかった。
大工の忘れ物?と思われたが、材木加工の段階で使う道具が梁の上にあるのは不自然である。
命同様に大切である大工道具だからこそ、わざわざ置いたのではないか、と考えられはじめた。
おそらく棟梁は、一世一代のこの仕事を最後と決め、自分の代わりに門を守ってほしいと願って置いていったのであろう、と今では語り継がれている。
〔これが南大門〔忘れ物の墨壺〕
また、職人のプライドや厳しさが伝わる秘話も。
京都にある千本釈迦堂(大報恩寺)本堂を造営しようとした際、大工の棟梁であった高次が代わりのない名材4本の柱のうち1本の寸法を切り誤ってしまった。
困っている高次に妻のおかめさんが、残り3本も切り枡組をしたらどうかとアドバイスをした。
この発想のおかげで、無事本堂の骨組みは完成した。
しかし、おかめさんは「女の知恵を借りて完成させたと云われては主人の恥」と考え、上棟式を待たずに自害してしまった。
高次は、妻の冥福を祈り”おかめ塚”を建てた。
どの時代においても、建築に関わる人々は命がけのようだ。
寺社を訪れる際は、職人の素晴らしい建築技術や、「継手」「仕口」の凄技を見ることも、楽しみ方の一つである。
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