2016年12月15日木曜日

絵 俵屋宗達編

俵屋宗達の奇抜な絵に出会ったのは、京都の「養源院」である。
血天井が見たくて訪れたのだが、「白象図杉戸絵」に釘付けになった。

「俵屋宗達 白像」の画像検索結果
  「俵屋宗達 白像」の画像検索結果 
 
たわらや‐そうたつ〔たはらや‐〕【俵屋宗達】
桃山から江戸初期にかけての画家。俵屋は家号。伊年・対青軒の印を用いた。宗達光琳(こうりん)派、いわゆる琳派の祖。京都の上層町衆の出身とみられ、本阿弥光悦書の和歌巻の金銀泥下絵を描き、また扇面画や色紙絵などに大和絵の伝統を新解釈した斬新(ざんしん)な装飾的画法を示し、水墨画にも新風を吹き込んだ。「風神雷神図」など屏風(びょうぶ)の大作も多い。生没年未詳。

俵屋宗達は象を見たことがなく、想像で描いたそうだ。
実物より柔軟性のある、愛嬌たっぷりの象で、とても親しみがもてる。
宗達の絵は個性的で、 躍動感に富み、はっきりとしている。
好みは分かれるかもしれないが、印象に残りやすい作品が多い。

なぜ養源院に白象の絵なのか。
それは、養源院の血天井に関係している。

関ヶ原の戦い直前、鳥居元忠は徳川に伏見城の留守居を任された。
その伏見城へ、石田三成率いる4万の軍勢が攻撃を仕掛けて来た。
10日昼夜戦い、8月1日力尽きた元忠ら380名は切腹。
亡骸は関ヶ原の戦いの処理が終わる2ヶ月後まで放置された。
その間に染み付いた血痕や体の後が、養源院の血天井である。
「養源院 血天井」の画像検索結果「養源院 血天井」の画像検索結果
 
 
 元忠の忠義を忘れず、足で踏むことのない天井板にして供養している。
白象は、釈迦の脇侍である普賢菩薩文殊菩薩の乗り物である。
俵屋宗達は、元忠達の霊を慰め、極楽に運び導く願いを込めたようだ。

この時代の絵として、象は非常に珍しい。
まして白象となるとなおの事である。
血天井と白象、お寺の方の解説を聞きながらじっくり見て欲しい。 
 
追伸
    養源院では靴を脱ぎ、正座してお話を聞きます。
    靴下に穴が開いていないかチェックして訪ねて下さい。
  大恥をかきました・・・
                                             
 
 

 


1 件のコメント:

  1. 俵屋宗達さんは象を見たことがないのに想像でこんなにも素晴らしい作品が残せるなんてすごいですね。
    血天井と白像の由来は深く、勉強になりました。
    そして…靴下はチェックしてから参拝します!

    返信削除