2016年12月18日日曜日

建築 東寺五重塔編

真言宗総本山 教王護国寺 東寺の五重塔について。
京都の陸の玄関が近づくと、まず目に入るのは東寺の五重塔だ。
京都に来たんだなぁ~と、しみじみ感じさせる景色である。

高さ約55m、木造建築物としては日本一の高さで、国宝に指定されている。
826年、弘法大師空海により着手され、空海没50年後に完成。
しかし、落雷などにより4回焼失し、現在の五重塔は5代目。
1644年、徳川家光により再建されたものだ。
雷には相当懲りたのか、現在は塔の先端に避雷針があり、アース線を地上に繋ぎ、落雷対策がばっちり施してある。


「東寺 避雷針」の画像検索結果         「東寺 避雷針」の画像検索結果

  五重塔は仏陀の遺骨を安置する意味がある。
  空海が唐から仏舎利を持ち帰った。
  仏舎利とは仏陀の遺骨で、サンスクリット語ではストゥーパ。
  卒塔婆と漢訳され、形は楼閣と融合された後、五重塔として日本に       
  伝わったようだ
 
紹介したいのは初層内部。
極彩色で彩られた密教空間。
さすがに色褪せてはいるが、美しかったであろう当時の名残はある。

各層を貫く芯柱を大日如来とし、その周りを四尊の如来を配置。
大日如来を含めた五体を「五智如来」といい、仏の備えている五つの智恵をあらわす。
宇宙の四方天地を守護している。
その周りを八尊の菩薩が囲む。
四方の柱には金剛界曼荼羅を描き、側柱には八大龍王、壁は真言八相像。
真言の教えが空海に伝えられた歴史が描かれている。

「東寺 五重塔」の画像検索結果     「東寺 五重塔」の画像検索結果

仏像はヒノキ製。
金で漆箔され、玉眼が使用してあり、かなり豪華である。

特別公開時には、初層床下の一部も見ることが出来る。
芯柱の床下部分にも、彩色が施されているのが分かる。
建築後48年の1692年、塔身の乾燥による収縮で、芯柱が屋根を突き上げてしまった。
そのため約50㎝程最下部が切り下げられた後なのだ。
約50㎝程彩色部分が下がったわけである。


さてさて、東寺があるなら西寺は?と疑問がわく。
どうやら平安京の造営と共に、羅城門を挟んで東寺と西寺があったようだ。

saiji 04西寺にも五重塔があり、二つの五重塔が平安京の門柱のようであったらしい。

規模は同等で、嵯峨天皇は東寺を空海に、西寺を守敏(しゅびん)に委ねた。
どちらも真言宗であり、二人はライバル意識が強く、事あるごとに対立した。
ある年、干ばつで困っていた朝廷が二人に雨乞い対決をさせた。
  
守敏は西寺の金堂に三日三晩籠り、寝ずの祈祷を続けたが、雨は一粒も降らない。
空海が神泉苑の竜神の池で祈祷を始めると、空は厚い雲に覆われ激しい雨が降り始めた。
この結果、守敏の信頼は失墜。

西寺はその後、990年の落雷による火災で焼失。
再建はされたが、次第に荒廃し、1233年には五重塔も焼け廃絶した。
現在は、1959年の発掘調査で判明した唐橋児童公園と唐橋小学校辺りの礎石が三個のみ。
雨乞い対決ではなく、仏教界の対決が招いた結果である。
 
saiji 06
 


  余談だが、東寺の五重塔のてっぺんと同じ標高の京都の通り        
  はどこかご存じだろうか?
  東寺の地点は標高22.9m。塔の高さ54.8m。合わせて77.7m。
  北山大橋は標高77m。堀川北山通りは標高78.1m。この辺り
  がほぼ同じになる。

  この間約8㎞が約55mの標高差であり、平坦だと思っていた
  盆地も結構な急斜である。
  北山辺りから東寺方面へサイクリングすると、行きは良い良
  い帰りは恐い!!なのだ。
  



  



1 件のコメント:

  1. 特別公開時に参拝して、ぜひ、初層床下の一部を拝見したいです。
    それに西寺があったとは驚きました!西寺がまだ現存されていたら...と想像すると面白いですね。

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