2017年1月29日日曜日

音 水琴窟


お題は「音」
最近感動した音で一番に思い出すのは
   ☆ 「水琴窟」 ☆ (すいきんくつ)
今回は水琴窟について喜真摩に(*^_^*) 

                

 〔水琴窟とは〕
水音を楽しむために,庭園に仕掛けられた装置。手水 (ちょうず) 鉢の排水口の下に水瓶などを伏せて埋め,その中にたまった水に,手水からの水の滴が落ちて,弦を弾くような音が聞こえるようにする。

初めて水琴窟に出会ったのは比叡山延暦寺の阿弥陀堂エリア
広々とした堂前の小さな手水鉢(ちょうずばち)を囲む上品な石庭

その石庭の中に、なんと贅沢にも二か所の水琴窟が!

ゆったりとした気持ちと時間を持って訪れなければ見逃すこと間違いない
取って付けたような空間なので、ん??ってな感じで近づいて気づいたわけでして・・・


水琴窟のルーツは江戸時代まで遡れる
小堀遠州が発案した”洞水門”が起源とも言われているが詳細は不明

蹲踞(つくばい)や手水鉢の手前地下に、底に穴を開けた甕(かめ)を伏せて埋める
伏せ甕の底に水を溜めておく
蹲踞や手水鉢から落ちる水が甕の底穴に入る
そこから「しずく」となって、溜め水に落ちる
その音が甕の空洞で共鳴し、透明感のある神秘的な音となる


表からは見えない地下の構造はかなり計算されたもの
甕底の水が抜けない構造、水深、そこが水琴窟のツボ!
この素敵な水琴窟も、明治、大正、昭和の歴史に戦争が付きまとう時代には忘れさられていた
戦後、かつての水琴窟を掘り出してみると、泥に埋もれ響くことは不可能だったそうだ

しかし、1980年代に新聞やTVで取り上げられ存在が広く知られるようになる

水琴窟の音にも色々ある
地中の甕の大きさや溜まり水の深さ、甕の厚み、甕を焼いた温度、水滴の大きさなど
溜まり水は深いと深みのある音、浅いと軽やかな透き通る音
甕を焼く温度は高いほど、高音となる

それだけではない

色々な条件が重なりあって奏でる水滴音は、一つとして同じ音は無く余韻も違う



                 まず、比叡山阿弥陀堂前の水琴窟の音を♪

 
 
 
こちらは、京都 圓光寺の水琴窟♪


                     
そして、「響き日本一」と言われる水琴窟は鳥取県 三徳山 三佛寺!
地面全体から響く荘厳な響き!!
どうぞ、お聞きあれ!!!


                   鳥取県 三徳山 三佛寺の水琴窟♪

 
音は録音器具や環境によって違ってくるが、音のリズムや余韻の違いはハッキリと分かる
好みの水琴窟を探すのも楽しいかもしれない
 
 
ちなみに、寺社以外には京都府立植物園にも水琴窟はある
少し音が小さいため、甕に向けて刺してある竹筒を使って聞くことになる
音は小さいため画像のみ・・

 
京都府立植物園 水琴窟
 

こんな小さな音を楽しむためには、自身の心を落ち着け、雑音から離れなければならない
「経」と同じく、聞ける状態にならなければ聞けないのである(*^_^*)



2017年1月22日日曜日

音 壬生大念佛狂言


狂言を鑑賞する機会になかなか巡り合えず、以前よりチャンスあらば!と狙っていた
やっと出会えた「壬生大念佛狂言」 (みぶだいねんぶつきょうげん)
今回は狂言について喜真摩に(*^_^*)

狂言とは、室町時代に成立した滑稽な劇。
能楽の一部として発達した由緒正しい狂言と
民俗芸能として伝承された狂言。               
狂言は、大きくこの二つに分けることができる。

今回は、お手頃価格で、気軽に鑑賞可能な「壬生大念佛狂言」を取り上げます。
その中でも特に迫力満点の「炮烙割り」について。

あらすじ
 目代(役人)が新しく市を開くため、「一番に店を出した者は免税とする」という立札を立てて去る。そこへをを商う羯鼓売(かっこ売り:太鼓売り)が申込みに来たが、無人なので一寝入りする。次に炮烙売が来て立札を見るが、羯鼓売に気付き、寝ている隙に自分の炮烙(素焼土鍋)と羯鼓をすり替えて、一番乗りを騙し取ろうと企むが、目覚めた羯鼓売と喧嘩になる。そこに目代が現れて、二人の持ち物を調べ、これを裁く。二人に芸競べをさせ、勝った方を一番乗りにすると告げる。炮烙売はなんとかごまかして、いったんは羯鼓売が負ける。炮烙売は調子に乗って、沢山の炮烙を並べて開店準備である。突然物陰から羯鼓売が現われ、これらの炮烙を木端微塵にしてしまう。結局、目代は羯鼓売に税金免除立札を与え、一同退場する。


開催は、壬生寺境内の大念仏堂舞台で年3回。
2月の節分前日と当日。(無料)
春は4月29日から7日間。
秋は10月の体育の日を含む3日間。

鑑賞料 大人800円 中・高生600円 小学生400円
当日券販売のみで、全席自由席です。
時間や詳細はこちら

観覧席は壬生寺境内保育園の二階。
屋根がなく日陰のため少々寒い。
舞台は別棟だが、すぐ目の前。

この舞台、重厚でかなり趣がある。
昭和55年に国の重要文化財に指定されている
京都の国の重要文化財297ある中の一つである。
そしてなんと、この壬生大念仏狂言は昭和51に国の重要無形民俗文化財指定である。
京都府では第一番の指定なのだ!

壬生大念佛狂言の特徴は、無言劇。
これは、大群衆に仏の教えを伝える手段として身振り手振りが考えられた。
台詞は無いが音はある。
かね・太鼓・笛によるお囃子
愛称の「壬生のカンデンデン」はこの音から付いた。
                        

人気の演目は「炮烙割り」
壬生寺で二月の節分時に、厄除け開運を願い炮烙を奉納する。
奉納された炮烙を狂言の物語に沿って割るのだ。
山積みされた炮烙を一気に下に落とす。
 
ガッシャーン!!ガッシャーン!!

                        〔炮烙割り動画〕



すごい迫力!!すごい音!!

 厄が吹き飛ぶこと間違いない!!



    

    〔厄除け開運の御祈願〕
    








 



   
正直、無言劇で内容が分かるものなのか不安だった。
しかし、一生懸命見ていれば言わんとすることはだいたい伝わってくる。

仏の教えを物語にしてるのだから、黄門様同様、正義が必ず勝つのである。
しかし、目は離せない。
離したら分からなくなるのだ笑


無言だからこそ炮烙の割れる音、お囃子が日常を忘れさせてくれ心地いい。
普段は雑音に囲まれ、心地よい音は消され、挙句の果て更に自分で音を身につけている。
そんな日常を離れてみるのも、たまにはいいものです(*^_^*)
                                          
年3回チャンスがあります。                           
興味持たれた方は是非おススメします!
                                             〔境内の様子〕

                                           
〔追伸〕
壬生寺節分祭はとっても賑わい、四条大通りから壬生寺境内まで色々な露店が続く。
炮烙は500円、奉納時に100円を添える。
書筆は用意されているが、お願いすればこころよく書いてもらえる。

                      
お隣の「京都鶴屋鶴寿庵」敷地内に八木邸がある。
新撰組の土方歳三や近藤勇の宿所であり、屯所として使っていた所だ。

 昭和58年6月1日京都市指定有形文化財に指定。
 見学は午前9時から午後5時まで。
 ・大人 1000円 (抹茶、屯所餅付き)          
 ・中・高生 1000円 (抹茶、屯所餅付き)
 ・中・高生 600円(見学のみ)
                                                                                

        〔八木邸〕                    〔俳優の佐々木蔵之介さんのご実家酒店〕



2017年1月15日日曜日

舌 蕎麦編

蕎麦とうどん、どちらがお好き?
そう聞かれたら、どう答えますか?
私は蕎麦が好きなので、今回は蕎麦のお話を喜真摩に(*^_^*)
 
蕎麦屋さんは、意外と門前町に多い。
お寺の和風なイメージと、蕎麦の地味な色合いが合っているからか、違和感がない。
では、蕎麦とお寺は関係あるのだろうか?

実は、蕎麦は植物性のため精進料理に使える。
一度打っておけば、人の出入りの多いお寺ではおもてなしに使える。
また、乾燥しておけば保存食にもなる。

しかし、一番の理由は以下のことだ。
天台宗では、修行中僧侶は米・麦・粟・きび・豆を食べてはいけない。
これを、「五穀断ち」という。
その五穀に蕎麦が入っていないのだ!

よって、修行中の僧侶が食す事のできる貴重な食材であり、栄養源となるのである。
そんな理由で、蕎麦とお寺は深い繋がりがあるのだ。

蕎麦は蕎麦粉の配合により、色も味も食感も違う。
根本的に何が違うのだろうか。

蕎麦の実の蕎麦粉となる部分は三つに分けられる。
表層部、中層部、内層部。
表層部は色が少し黒っぽく、内層部に向かうほど白っぽくなる。
     
 

                         

内層部の白い蕎麦粉を更科粉といい、取れる量が少ないため高級な蕎麦粉となる。
蕎麦にすると、色は白く甘みがあり、喉越し良くあっさりとしている。
                  
〔更科 一番粉〕

中層部の蕎麦粉は、単独では割と白っぽい粉で、挽きぐるみ蕎麦粉という。
蕎麦にすると、香り風味に優れている。
 〔挽きぐるみ 二番粉〕 

表層部の蕎麦粉は、蕎麦にした時ねっとりとした仕上がりになるため、単独では使わない。
中層部の蕎麦粉と混ぜて使うことが多く、色付きで味も香りもしっかりした蕎麦になる。
食感も弾力があり、もっちりとする。

その他にも、色黒の蕎麦がある。
蕎麦の実の硬い殻を加えているため、舌触りと食感が違っていくる。
藪粉と呼ばれ、たんぱく質が多い粉となる。
独特の風味がして好みが分かれる。

田舎蕎麦と呼ばれるものは、この色黒の蕎麦をさすことが多い。
人によっては懐かしい味となる。
〔藪 三番粉〕

蕎麦が精進料理として食べられたとしても、お出汁は魚類からとるわけにはいかない。
そこで、当時の食べ方を調べてみると、
江戸時代の頃まで、蕎麦の食べ方は味噌をつけるか、辛味大根を添えて食べていたようだ。
                       

 
〔辛味大根蕎麦〕
 
この食べ方は蕎麦の香りが楽しめて、かえって蕎麦通にはたまらないかもしれない。

ちょっと変わった蕎麦もご紹介!

       
●桜海老切り・・・桜海老の粉末を更科粉に練りこむ
●草切り・・・よもぎの葉を更科粉に練りこむ





●春菊切り・・・春菊を蕎麦粉に練りこむ







             
●みかん切り・・・みかんの皮の粉末を蕎麦粉に練りこむ  









 ●ごま切り・・・すりごまを更科粉に練りこむ








他にもまだ沢山あり、紹介しきれないので興味ある方は調べてみてください。

ちょっと風変わりな食べ方の蕎麦もある。
〔瓦蕎麦〕
 
山口県下関市川棚の郷土料理の瓦蕎麦だ。
熱した瓦の上に茶そばを乗せ、薬味とレモンを乗せて、おつゆで頂く。
瓦に面した蕎麦はパリッとして食感がいい!
甘辛い牛肉が和風感を忘れさせ、しかし洋でもなく新しい味である!


                    自宅で作ればこんな感じです!(^^)!



                     瓦の変わりにフライパン!笑


地域、季節、材料、色により蕎麦もお楽しみの食材になっているようだ。
私は瀬戸内育ちなので、みかん切りが気になる。
是非食べてみたい。
お出汁はきっと合わないだろうから、柑橘系のポン酢をかけて!

どれか食べてみたい蕎麦はありましたか?
それとも、うどん派ですか?笑






                   

2017年1月1日日曜日

建築 高松塚古墳編

高松塚古墳とその石室を建築と位置付けるべきか・・・
その答えを探りながら。
今回は高松塚古墳について喜真摩に(*^_^*)
     
                   

高松塚古墳が築造されたのは、7世紀末から8世紀初頭とされ、終末期古墳とされている。
仏教が伝来したのは、552年又は538年とされ、どちらにしても6世紀中頃ことである。
この古墳が築造された時代は、日本古来の八百万の神々と仏教が混在した時代となる。
仏教伝来により古墳は次第に作られなくなるため、古墳時代最後の貴重な古墳である。

この古墳が語り始めるのは、1962年のことである。
明日香村の村民が、ショウガを貯蔵しようと現墳丘の南側に穴を掘った。
すると、穴奥で凝灰岩の石室が突如現れ、これが発端となる。

     〔凝灰岩とは
火山灰が堆積して固まった岩石で、もともとは数ミリ以下の細かい火山灰が固まったものなので、石質は軟らかい部類です。また割れ方に方向性はなく、軟らかいため加工がしやすい石材です。どちらかといえば他の主要な建築石材に比べて風化しやすいため、微細な細工を施したりするモニュメント等にはあまり向きません。ただ種類、産地によっては中硬度のものもありますが、ほとんどが軟石に分類されます。耐火性が強い石材のため、塀や蔵などの用途でも採用されてきました。代表的なものとしては、栃木県宇都宮原産の大谷石があります。比重は花崗岩に比べて低く、吸水率も高めとなっていますが、加工のしやすさと耐火性を特徴とする建築石材です。

しかし、発掘調査が始まるのはその10年後の1972年からである。
調査開始間もなく、あの有名な極彩色の壁画が発見された。
発見当時は、現在のような退色やカビは見られず、それはそれは大変美しかったそうだ。

石室南面に盗掘孔があったことから、既に盗掘されていることが分かった。
盗賊どもが置き去りにした灯明皿が出土したことで、盗掘は鎌倉時代であったことも分かった。

                              

北壁に玄武、東壁に青龍、西壁に百虎が描かれている。
盗掘孔だった南壁の壁画は失われたが、朱雀だったと考えられる。
この四神、古代より中国や日本に住む人々の世界観である。
その世界観はその後も受け継がれてる。
例えば、会津藩の軍構成である。
武家男子の50歳以上を玄武隊、36歳から49歳までを青龍隊。
18歳から35歳までを朱雀隊、17歳以下を白虎隊としたことだ。
また、ベテランを玄人、若者を青二才と言うのもこれにあたる。

さてさて、話を高松塚古墳に戻そう。
凝灰岩で出来た石室は、長さ2.65m幅1.03m高さ1.13mである。
床石4石、北に奥石、東西の側石にそれぞれ3石ずつ。
天井は4石で、南は閉塞石である。
一枚当たり推定1.5~2t。
                                  
写真    図


これはかなり狭い!
棺が納められると一杯になる。
これだけ壁が近いと、被葬者にとって壁画はかなり圧迫的だったに違いない。

その狭い石室にも、ちょっとした夢がある。
なんと!!天井に星座が描かれているのだ!!
北斗七星など、数えられるもので125もある。
星は直径約9㎜の金箔で表現され、星間を赤線で繋ぎ、星座を表している。

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この狭い石室で壁画を描いたり、天井に金箔を貼ったりは大変な作業だったに違いない。
しかし、1300年たった今でも、この金色の星は輝き続けている。
石室の壁画や星に思いを込めた繊細世界は、冷たい石でさえ温かく感じるほど心がこもっている。
1300年も被葬者を守り続けていたこの古墳も、やはり国宝級の建築だと私は思う。